しつけるのではなく

子どもとスキンシップをとっているほど

人間は適当に取捨選択して、どんどん変容していく。
こにのめり込んでいるということはない。
いつまでも、あるところにとどまって、そ内心ハラハラしたこともある。長男が鈴鹿のサーキットにまで出て、自動車レースをやったときのことだ。いつ命を落とすかもしれない危険なスポーツだ。ところが、今はマイカーの運転ぐらいはするが、カーレースの話題すら出ない。テレビでレースの放送をしていても、昔ほど関心を示さない。自動車のことはもう卒業している。だが、こういうことも本人にとっては決してむだではなかった。車の知識の広がりだけではなく、その世界の人たちとのつながりができ、交際範囲も広がり、本人にもさまざまなプラスになる。
わたしはある航空雑誌に、長年にわたって定期的に原稿を書いている。常連執筆者であるのに、このごろはその雑誌の忘年会にはやはり原稿を細々と書いている次男だけが呼ばれ、わたしには声がかからない。次男が、案内状が来ましたかと言う。わたしはポカンとして何だと言ったら、航空雑誌の忘年会のことですよと言う。



子どもが小さいころからいろいろなことを学ばせいろ
わたしには来ないで、伜に来る。これは半面寂しくもあるが、いやな気持ちはしない。そんなとき選手交代か、とつぶやきながら寝床でその航空雑誌をパラパラ読む。案内状が来たって、どうせ忙しく出られやしないからちょうどいいや、などと考えながら本を読む。そして心は安らいでいる
子どもに対して最低限望むこと-しつけはまず家庭の雰囲気が大切「父母の恩は、山より高く、父母の恵みは海より深し、深き恵みにむくゆるは、厚き心をいたすべし」亀谷行著
和漢修身訓
「人には子という者あって、老身の時、たすけとして孝の道を教えて、老に仕えしむるの備とす」
石上宜続著
卯花園漫録
「即ち国の本は家にあり。良家の集る者は良国にして、国力の由て以て発生する源は単に家にあって存すること疑うべきにあらず」福沢諭吉著日本男子論父母に孝、兄弟に友、くつかを並べてみた夫婦相和しという教育勅語を思い起こすような、家庭道徳を説く言葉のい戦前ならいざしらず、今の子どもたちが学校などで、こう教えられたら一体いかなる反応を呈するだろうか。

  • 子どもにももしも将来そして自分
  • 子どもの積極性や意欲は育ちません。
  • 成績はぜんぶ普通。

子どもを抱っこする場合

子供であろうが大人であろうクスクス笑い出す子どもがいるだろうし、ポカンと口をあけたまま、大人は何を言いたいのだろうと、不審顔をする子もいるだろう。今の子どもは上下関係とか権威に対して畏怖する気持ちがほとんどないので、昔のような文句は言わせない式の家庭道徳のしつけはできない。親に都合のいいことだけを、強く押しつけようとすれば、子どもはただ反発するだけだ。
わが家の場合、しつけや礼儀作法ということでは、最低限には気を遣ってきた。その根本にあるものは、他人様に迷惑はかけない
ということだ。細かいことは女房が気配りをしているので、わたしがこと細かに注意したりすることはない。家庭教育というものは、何も肩を怒らせてやるものではない。
子どもが小さいころからいろいろなことを学ばせいろ

子どもが読書の素晴らしさを実感できれば砂に水がしみこむように、子どもの柔かい頭に自ずとしみこむような、家庭の雰囲気が大事だ-父親は子どもに干渉しすぎず、保護しすぎずの態度で接するわが家の長男は決しておとなしいほうではなかった。万事に積極的で、実利的で、自ら運命を開拓するために前進するタチで、小学校から福沢諭吉先生の流れをくむ教えを受けたからよけいそういう人生の生き方が固まった。次男は、少年時代、宗教的にしつけの厳しいG校で薫陶を受けたので、はなはだ行儀がいい。自らを犠牲にしても人を助けるという教育を受けている長男の場合は、勇ましすぎて、親にたてついたことも再三あったから、こちらも怒ったり、怒鳴ったりもした。

子どものファンがいることを考え

今考えてみると、わたしが悪い場合も多かった。わたし自身が苦労して、辛い時期に、子どもを必要以上に怒鳴ったり、叩いたりしている。残念ながら、親の感情がそういうことをさせると思う。親も神様ではない。
体罰は、長男にいちばん多く加えられているだろう。下へいけばいくほどわたし自身の気持ちも落ち着いてきた。したがって、末の三男がいちばんおっとりして、甘えん坊で人が好い。親から叱られた度合いが一番低いからだ。反面、あまり無茶をせず、穏やかすぎるわたしのきょうだいも全く同じで一番父をこわがったのはわたしで、お父さまという評価に変わってくる。
母親になるということはすばらしいことです。

小学校一年位

母親が宿題末っ子になると
やさしいわが家の三男もウチの伝統である冒険心はあると見えて、家にいるより空を飛んでいるときが多い高校のときから大学までグライダーでとおしてきたが、いくら飛行機が好きな父としても
グライダーに乗れとはひと言も言ったことはない。正直なところハラハラしている。親父見にこないかと誘いをかけられたが、一度も行ってやったことはなかった。わたしも飛行機は嫌いではないから一度見に行ってやってもいいとは思ったが、わたしが何を聞かずとも、外でどんなことをやって、どんな生活をしているのか、よく話してくれるからそれで充分という気持ちがあったのかもしれない。
わたしは子どもに無理な期待はしていない。ごく平々凡々に生きて、結婚をして、子孫をもうけて、後世にバトン·タッチしてくれればそれでけっこうだ。格別、出世してほしいとか、ノーベル賞をもらってくれとか、そんな期待はさらさらない。

母さんはその後真央ちゃんに対して腹が立つという

成績が不振であれば

ただ努力して、何事も根気よく懸命に生きてくれれば、それでいい。
今の子どもたちに襲いかかっている大きな問題は、親の期待過剰だ。今は子どもの数が少なくなったから、無理からぬことなのだが、しかし、すぎた期待過剰が子どもから痛いしっぺ返しを受けている現実がある。
平々凡々に、なんとか生きてくれればけっこうというくらいの気持ちで、大した問題は起こらないはずだ。
親が子に接していればところが、今の日本は激しい競争社会なので、親がのほほんとしていたら、子どもが落ちこぼれになってしまうという不安から、親がいやがる子どもの尻をたたいているという感じである。この気持ちが強くなると過保護、過干渉に発展してゆく。
わたしの場合、子どもが、この人のところには紹介がなければ行けない、どうしても会わなければいけないときには、紹介状を持たせてやるとか、電話をかけてお願いする程度の援助はしてやる。
しかし、初めから、子どもが頼みもしないのに、おれが紹介状を書いてやる電話をかけてやるから行きなさい
などとはもちろん言わないし、また言いたくもないどこからが過保護、過干渉になるかという線は、あくまでも親が決断すべきであろう。



子どものためによかれと思って
プラスマイナスのバランスをとるようにする。誰でも自分の子どもには盲目になる部分もあるから、このへんがなかなかむずかしいのかもしれない。傲慢にならず謙虚な目を持つように、親も子も絶えず自戒する必要がある。
-子どもに対して何ごとも百点満点を望むなわたしは父親としては、及第なのかどうかまだわからないらいのところをウロウロしているところだろうか。
点数をつければ五十点から六十点く人間の本当の価値は、死ぬ直前にならないとわからない。棺桶に足をふみ入れたときに子どもたちが判断すればいい。だが俗人はそういうふうに考えられないから、ついグチが出たり、不安になったりするのだ。

  • 教育化してき
  • 幼稚園の年長の時
  • しつけの主役は親

大学に入学して

勉強を志して夜間しょせん、人間は死ぬのであるから、死んでしまえば、いから、あまり神経質にならなくてもいいのではないか。
後は野となれ山となれで、何もわからな子どものことをただハラハラと気をつかい、このままでは死ねないと言っている人がよくいる。そのため、死ぬことがひどく恐ろしい。それが不安神経症のもとになる。やれ動悸がする、頭が痛い、体がどうとか、いろいろな肉体症状を持つことになる。ノイローゼには、死にたくない.死ぬのが怖いという自分の肉体に対する恐怖からくるものがあるいつ死んでもいい、死んでしまえば子どもたちがどうなろうとわからない、ノイローゼなどにはならない。
母親への依存度が高い子ほど危険一時期しき

母さんが心配しますと悟りを開いた人は百点満点の親などむろんこの世に存在しない。外見はたいへんいい家庭に見えても、少し立ち入って実情を知ると、人に言えない悩みがたくさんあるものだ。この人にして、この悩みがあるああこれが人生だなと思う。
大邸宅に住み、金はあり余るほどありとみえる、社会的地位の高い人でも、こんな悩みがあったのかという人がたくさんいるものだ。とにかく、百点を望まないことが、いちばん安全な生き方だ。ただし、ベストを尽くさなくてはいけない。ベストが無理なら、とにかく出来るかぎりの努力をしなければならない。
受験生に、「志望校に無理をして入らなくてもいいではないか、気持ちをゆったりと持て」と言うと、それでは勉強する気持ちがなくなると反撃してくる。

しつけが身につい人です。

だが、初めから何が何でもと固くなっているから実力を発揮できない。落ちたと思って、合格通知がくればオンの字だと思うくらいでちょうどいいのだ。
わたしの外来患者にも、東大を出て、就職もできない青年が来る。こちらがしゃべると、すぐでもとか、しかしの言葉がひんぱんに出てくる。要求水準が高すぎて、何ごとも満足できないのだ。卒業してから三、四年たってもまだ就職できない。
海外協力隊でアフリカのある国に行っても、逃げ帰ってきてしまう。
なぜ逃げ帰ったのかと聞くと、文明がないと言う。
「当り前だろう、文明がないからこそ、あなたが行くのだ。その気持ちを解消しないと就職できな
い、そのうち野たれ死にするぞ」と言っても、暗い顔をして、理屈ばかりこねている。
母さんもたくさんいます。

子供たちを評価せざるを得

子どもたちも!親は期待して東大まで出したのにこのザマだ。親の気持ちはどんなだろう。親の期待が大きければ大きいほどショックも大きい。
親の立場もまた、要求水準が高すぎないほうが安全だ。
し、親の嘆きの原因になる。
しばしば、親の欲目は子どもをスポイル

父親は子どもの進路にどういう態度をとるか

-親より他人の説得が効くこともある子どもたちがわたしのことをどう考えているか、特別に考えたことはない。ある時期は、怒鳴ったり、叩いたりしたこともあるが、それはそんなに長い期間ではない。むしろ話のわかるオヤジ放任しすぎた父親、とわたしを見ているかもしれない。
事実ああしろ、こうしろなどということはほとんどなかった。子どもを痛めつけたのはわたしの中年期の最も忙しく、最もストレスの多い時期であった。