母親にとって

しつけに一貫性がなくなるのは問題です。

これは老人性痴呆症を見れば、はっきりわかる。老人性痴呆症にはしばしば、ものを盗られるという、被害妄想が発生する。その犯人は誰かというと、圧倒的に嫁である。女から泥棒扱いされたという嫁は無数にいるはずだ。それは当り前で、嫁は、大事な息子を自分からとり上げていったまことに憎らしい存在なのだから。
人間は、年をとってくると、物忘れがひどくなる生物である。判断力も落ち、妄想がわいてきてまっ先に血祭りに上げられるのが哀れな嫁なのである。その間に息子がはさまれて苦しむというパターンもまたできあがる。
われわれ夫婦は嫁に対して、ぎょうぎょうしい応対をすることはしないむしろ孫を通じての会話のほうが多い。

子供に何を与え
子供に何を与え
子供たちの食が進むように各家庭
子供たちの食が進むように各家庭


子どもは息がつ

勉強するとき母親にとって女房は嫁を誉めることによって教育をしているようだ。孫の着ている服を見てもまあ、かわいい、趣味がいいわねなどと言っている。けなし専門のわたしの母とは正反対だ今の若い嫁に対しては、子どもを育てる原理と同じように、叱るべきところは叱っていいが、原則的にはけなすより誉めてやるほうが合理的だ。
嫁がなかなかセンスのいい服を着ていると、いい服ね、相当お高いんでしょ
と女房が言う。
嫁は、いいえ、バーゲンで探したんですなどと答えている。
「そんな値段にはとても見えないお買物が上手なのね。それに、ほんとにいいセンスよ」と、さらに誉める。嫁もマンザラでもなさそうな顔をしている。そんなこんなで、だんだんとこちらへ引き寄せてくればいい。
-子どもにしてやれること、やれないことの限界をわきまえよ息子夫婦は、今はわたしたちとは別に住んでいて、別にわざわざ顔を出せとは言わないが、向こうもできるだけ顔を出すようにしているようだ。次男は医者なので、大学病院勤務以外にわたしの病院にも週に何回か顔を出す。
長男の嫁、次男の嫁にも、女房が病院の事務の一部を手伝わせている。仕事が忙しくて、女房は徹夜することもしばしばだが、他人には任せられない仕事もあるので、そういう時にはなるべく嫁に頼む。そのほか、ちょっとしたお使いや計算をしてもらったりもする。それによって、こちらとのつながりを持たせるようにしている。

学校などの集団生活の場に入る

子どものわがままを聞き入れる何事にも参加意識を持たせることは必要だ。昔ならば大家族で同じ家に住むが、ないので、なおさらこういうことは必要なことである。
今はそうもいかそのかわり、嫁から、これから、届けに上がりますと電話があると、こっちから行くわよと、女房はそんなサービスもしてやる。

あなたは忙しいから子どもたちにしてやれることと、やれないことの限界というのはむずかしい。基本的には息子夫婦は独立し、自分たちの裁量でやっているし、これからもやっていくべきであろう。経済一つ考えてみても、甘い顔をするのは簡単だが、うちがつぶれれば全体がつぶれる。そのへんの限界は考えなければならない。
息子夫婦も若いのだから、かなりの倹約を強いられ、決して豊かではない。子どもたちが、倹約し、稼ぎ、親に迷惑をかけまいと努力をしている現実があるならば、何かのときに、こちらにもし余力があればなにがしかの援助をしてやってもいいと思うが、それはあくまで現実を踏まえての話である。いじめてるのじゃないかねえ!努力もせず、ただ親を頼りにするようなら、甘い顔を見せてはいけない。
めて、ムダ使いをしないでやりなさいぐらいの小言は必要だろう。

もっと家計を引き締いちいち息子夫婦の家計簿を見なくても、のは、親の責任である。
だいたいの状況はわかる。
その程度の後見をしてやる親の援助を子どもが感謝の気持ちをもって受けとっている間は安全であるが、れてくると危険がしのび寄ってくる。
感謝の気持ちが薄-娘に対してと、息子に対してとでは言葉を変えよ文士や役者などが、自分の娘のことを書いたものを読むと、それぞれ父親の微妙な気持ちが表現されていて面白い。だいたい、父が娘を語るときに、ほんとうの父の心が出るものだ。

経験は全部生かしてプラス

基本的に父は娘に弱いのである名前の上に鬼のという形容詞をつけられる頑固なある編集者は、がかかってくると
何子さんはいらっしゃいますか?
おらん

どこへ行かれましたか?
知らん

何時ごろ帰られるでしょうか?
わからん
娘にボーイフレンドから電話三ことで撃退する話を、作家の阿川弘之さんが紹介している亡くなった俳優の宇野重吉さんは、お嬢さんが適齢期だった頃、もう嫁をもらってもいい年頃の息子のいる家から折入って相談したいことがあると電話がかかってきたとき、てっきり娘の縁談の話と思いお待ちしておりますと言って電話を切った。


経験をさせてくれる場所もありません。

一人でやきもきして相手を待ち受けて、さて話というのを聞いてみると、縁談とはそれこそ緑もゆかりもない外国旅行の相談だった。
ところで、わが家の娘はというと、この娘は男の子の中の紅一点ということなので、自然勇ましくなる。もちろん女らしい優しさはあるが、やはり芯が強い子どもの頃から人形に夢中になるような女の子ではなく、むしろ冒険家と言っていいところがある。外国でも、パリとかニューヨクには目もくれずネパールとかスリランカとかが好きだ。表面的な華やかさには憧れないほうであるそれでも男とちがって女の子は、当然デリケートなところがあるから、それなりの配慮がいる男の子の場合は、そのままズバリと発言してもいいが、娘に対しては、言葉を選ぶとか、表現を変えることも、時には必要である。男の子と同じように取り扱い、娘の反応が想像以上に強かったりして、
しまったと思うことがある食事のとき、目の前にあるご馳走に目もくれず別のほうばかり食べていて、後でそのご馳走は娘がわたしのためにつくってくれたものだと教えられて、しまった、ひと口でも箸をつけたら、娘は満足したのにと思ったこともある。子どもとの人間関係は教師


母親にとって 母は新しいものが好きだ 母親にとって