母さんもたくさんいます。

勉強にして

子供たちの半分はカギツ子であるわけだ。

この子は牛乳を飲ませると、すぐ吐くとか、牛乳を飲ませると、すぐ下痢するので飲ませませんという母親がいる。わたしの経験でも、牛乳はたしかに下痢することがあると思う。だが、牛乳というのはカルシウムの補給に大事なものであるから、下痢をしてもどんどん飲ませているうちに、体が慣れてくるものだ。ところが、今の母親は子どもを大事にしすぎるのか、自信がないのかこれが実行できない。
飲ませなさいとわたしが言っても、母親は言うことを聞かない子どもがかわいくて下痢をするのをみすみす飲ませるのかと反発するのが今の母親だ。では牛乳を飲ませなければ、他にどうしたらよいか、という対処の方法は何もない。
確かに、嫌がる子どもに、ただ牛乳を飲め飲めと言っても、これは飲まない役割がある。父親が子どもの目の前でしょっちゅう飲んでいればいい。しかもうまそうにだ。子どもというのは、何となく大人の真似をするものだ。それをせずにガミガミ言っても無駄というものだ。
こに父親のわたしが子どもの頃は、牛乳が嫌いで、トマトが大嫌いだった。どうしてもトマトを食べないといって、家の中から締め出されたこともある。

経験が基礎として必要なのである

そうなると、こっちとしてはいよいよ反発してしまう。それよりも、両親が眼の前でどんどん食べればいいのだ。牛乳をガブガブ飲めばいいのだちょっと時間をかけて真似をさせればいいそれと、思春期になってくると、異性を意識しだすので、これを食べないと背が伸びないとか、肌がきれいにならないなどと言って、嫌いなものを食べさせるチャンスでもある。何ごとも工夫しなければ前進はないのではないか-父親は反応過敏症にならない強い心を持てわたしは本来、牛乳はあまり好まなかった。だが、近頃は年を感じるようになり、いちばんこわいのは骨折だと思うようになった。ある年齢になると、ひとたび骨折すると若い者とちがってなかなか治らない。またちょっとした骨折が引き金になって、ほかの病気をひき起こしたり、ほかの病気をさらに悪化させたりする。
そこでわたしは数年ほど前から牛乳を多くとることを始めた。あまりうまくない。しかも下痢をする。だがわたしには信念があるからかまわずどんどん飲んだ。不思議なことに1週間ぐらいすると下痢は全くしなくなった。

 

教育を考え哲学をかじり政治に関わりするなど人生

しつけについてもね。おまけに牛乳がうまくなった。だんだんふやして今は一日に四、五本は飲む。外来の診察時間中にもお茶代わりに牛乳を飲む。寝る前にも11本は飲む。旅に出てホテルの朝食にもコーヒーや紅茶はやめて牛乳を飲む昔、ホテルの朝食に牛乳を飲んでいる人をブベツのまなこで見ていたのだが、今は人からブベッの目で見られる立場になった。放送局などでも、
お飲み物は?と聞かれれば、以前はコヒーと言ったのを今は胸を張ってホット·ミルクと叫ぶ。わたしはまだ冷たい牛乳をがぶがぶ飲むことはせず、一応あたためて飲んではいるが、そのうちチャンスをみて次第に冷たい牛乳にも挑戦しようと思っている。
要するに、一時の反動の時期を乗り越えればいいのだ。これには勇気が少しおおげさだがいるが、多くの世の親はその勇気がないのだ。

体験は実生活で必ず役に立つでしょう。不眠症の人が入眠剤をやめるのがこわくて、なかなか泥沼から抜け出せないでいるのも、要するに勇気がないからであるとにもかくにも、子どもの言うことにいちいち反応し、その反応をあらわにすることがいちばん悪い。しかも、その反応が最も強く出やすいのは母親であろうから、ここに父親の役割があるのではないか。父親は子どもへの安易な反応への防波堤の役目を果たさなければならない。そのために、父親は母親へニラミをきかすだけの自信と強い心を持たねばならぬのだ。
-子どもの甘えと親の期待過剰が家庭内暴力を引き起こすいくつになっても子は親から離れず、親は子を離したがらない親は子どもの一挙一動に一喜一憂する。一見まことにうるわしい情景だが、どこかおかしい。自然に反している。厳しい世界に生きる生物の姿ではないHigh Emotional Family - ハイ·エモーショナル·ファミリーといって、情緒過剰家族と訳しているが、この情緒過剰家族の中では、精神分裂病の再発が多いという貴重な報告が長崎大学精神神経科から出されている。

子どもにビールを飲ませたりする親がある。

先生から言われるとピリリとした。これは日本だけでなく世界的な調査の結果であるグローバル大学の入学試験に母親がついて行くという話はさきほども述べた。かなりの年月がたつが、すっかり定着したかのようにみえる話題である。大学のみならず、そういう人間が社会人になってもこの関係は影響する。こうした家族は情緒過剰家族と言える。
複雑な人間関係や、複雑な機構をたくみに生き抜き、勝ち抜いてきたビジネスマンが、自分の属する組織団体に適応し過ぎて、本来の自分の姿を見失い、心身の異常を訴えることがある。これを過剰適応というが、こういう人間には、情緒過剰家族の中で育ってきて、過剰密着の親と子の関係を持つ者が少なくない。

子どもたちに対する

母さんの後ろに隠れてしまいます。初老期を迎えても、こういう
精神的離乳のできない不幸な人も案外と多いこのような関係の前面に登場しているのは母親だが、その母親の背後に必ず父親の姿が見えるのだ。父親が母親に多かれ少なかれ何らかの影響を与えている。
甘えに支えられた親子関係を世人は過保護という言葉で片づける。なるほどその通りであるが狭義の過保護だけで子どもは家庭内暴力にまで至らない。
単なる甘やかしだけでなく暴力への道程には必ず過剰な期待が存在している。もっと具体的にいえば、過剰なる期待が過度の干渉を生み、その干渉が子どもの暴力に発展すると言っていいと思うのだ。
祖母を殺した早大高等学院生、惹き起こした開成高校生の場合、激しい家庭内暴力の末、父から殺され、さらに母親の自殺までもいずれも親の過度の干渉
が底流に横たわっていた。


先生から言われるとピリリとした。 子どものためによかれと思って 父親がピシャッと抑えたあ