子どもはと思います。

育児のすべてを親にとって

このこだわりで思い出すのが父の座である。昔の食卓では、必ず父親は上座にどーんと坐っていた。そして、父親がいようといまいと、その席だけは本人以外には絶対座ってはならないもの最近ではどうだろう。そういう考え方自体なくなったということもあろうが、上座を決めるために必要だったものが住宅から姿を消したためもあり、あやふやになってきているのが現状ではないだろうか。あえて言えば、テレビの正面が父の座というところか読売新聞社の面白い調査結果がある。東京·荒川区立第三日暮里小学校六年生三十四人に父親が坐る場所が決まっているかどうか尋ねたところ、決まっていると答えたのは二十四人。ところが父親がいないときもそこを空けているというのはわずか八人だけだったという。

子どもを見くびっていることです。
子どもを見くびっていることです。
子どもにとっても勇気づけられる言葉です。
子どもにとっても勇気づけられる言葉です。


先生はひとこと。

母がおひなさまの絵を描いてくれた。教育の基本は何といって父の座は今や、風前の灯なのだこれはわたしが思うに、家族そろって夕食をとることが少なくなってきたのが一因ではないだろうか昭和五十七年に総理府広報室が行なった父親の意識に関する世論調査によると、普段あなたは何時頃帰宅しますかという質問に、管理職サラリーマンの四一パーセントは八時頃かそれ以降と答え、そのうち11パーセントは十時以降と答えているまた、家族そろっての夕食が一週間に何回あるかという質問に、理職サラリーマンが、一、二回かそれ以下と答えている。

子どもといつも一緒にいてよく目をかけ手をかけて

成長ホルモンの分泌を抑えなんと四一パーセントの管四十五十歳代のサラリーマンといえば、とりわけ会社でも中心的な役割を果たしているのだから、
忙しいのは当然だ。しかし、週に一、二回しか家族と一緒に夕食をとらないというのは何とも寂しいたとえばスペインでは、昼休みに家に戻って家族と昼食をとる習慣があるので、これならば、たとえ夕食を一緒にできなくても構わないだろう。ところが、わが国では昼食はもちろん離れてとっ
ているし、朝食もバラバラという家族が断然多いする機会は夕食しかないのであるということは、家族が一堂に会して食事を共に週に一、が週に一、二回というのは、どう考えても少なすぎる。
二回しか家族と団欒していないことになるわたしがこんなに家族と夕食を共にとるのにこだわるのには言い換えれば、わが国ではほとんどの父親理由がある食事を共にするということは、仲間として認め合うことで、それがまた仲間意識を強める働きをする。同じ釜のめしを食った仲という言葉があるように、人間同士が親しさを増すためには必要不可欠な方法だと思う。サラリーマン社会でも、ちょっと食事でもご一緒にといって、得意先との親交を深めたりするのだから、わかっていただけると思う。母さんは持っていてほしいものです。これは、家庭でも同じことである。家族だから、不義理もわかってもらえるだろうというのは間違いだ。家族そろって和気あいあいとその日にあった出来事からたわいのないことまで話しながらとる食事が、いかに互いの理解を深めてくれることか子どもたちに
親と一緒に食べる食事と、一人だけで食べる食事のどちらがおいしいかしたところ、圧倒的に親と食べるほうがおいしいという答えが返ってきたという。
と調査食べるものは一緒でも、寂しいと思って食べる食事と、楽しいと思って食べる食事では、味だけではなく、さまざまな面で大いにちがってくる。まず、第一に寂しい食事は体に悪影響を与える食べる速度が早くなる。偏食をする。そして、何よりいけないのは、食べることを馬鹿にしてしまぅことだ。

しつけるだけ

とくに、育ち盛りの時期に、食事をいい加減にしてしまうと、栄養のバランスはもちろん、空腹にならなければ食べないなどというような不規則な習慣を身につけてしまい、後々のためによくない。食は健康の基本なのである家族のコミュニケーションの原点は、ゆっくりくつろいで食べる夕食にある。ふとした仕草や、口ぶり、顔色から家族の異変もキャッチできる。元気ないな。どうしたんだ?のひと言で、子どもはいじめから救われるかもしれない。面と向かって話しにくいことでも、家族団欒の雰囲気によってスッと切り出せることもある。食事をしながらというのは、本音をだしやすいのだ。
亡くなった漫画家の滝田ゆうさんは、食事は必ず家族全員そろってとっている
二人のお嬢さんたちが小さい頃からずっとつづけていたそうだ。


母さん自身も日本語の感覚を磨いてください。

と言っていたモーレツサラリーマン諸氏には、これは無理でも、せめて朝食ぐらいは家族全員でとるよう心掛けたらどうだろうか。これはもう、立派な親の務めの一つだと思う。
-家庭にセレモニーを持とう家族そろって食事をとることと同様に大切なのが、家族みんながそろって何かを行なうことである。
それが家の中のセレモニーである。
なにも大金をかける必要はないが、家庭生活にときどき区切りをつけることが大切なのだ。
ところが、今はみんな忙しくて家庭的セレモニーが次第に少なくなってきた。
人間の集団には、社会には、が集団維持のため必要だから、祭日あり、入社式あり、修学旅行もある。
そういうものができたのであるどうしてもそういうもの家庭でも七五三のお宮まいりとか、れの誕生日がある節分の豆まきや花見などいろいろとある。
むろん家族それぞこういう具合に、生活の中に一つの区切りをつけて、なるべくそれをさかんにする必要があるそれが自然に子どもの教育になっていくものである。子どもは頭がよいか?


教育の基本は何といって 子どもという弱者を相手にしているということです。 母親の中にいま強く育っているようであるかつて