子どもには時間の感覚がありません。

子どもより適切な判断ができることは多いのです

そちらの道が自分に合っていると感じたのだろう。それはそれで結構な話だと、アメリカにいる知り合いに頼んで、向こうの家庭に面倒を見てもらうというところまでは援助をした。
ときどき長男は、大学の寄宿舎から、声の便りをテープに吹き込んで送ってよこした。「いま部屋を暗くして月を眺めている。寂しいなあ、ちょっと涙が出てくる」などというひとり言がテープから流れてきた。渡米した直後は、ずいぶん苦労したらしい。日本で大学を出てから行ってもそうなのだから、中学や高校で行ったらどうなっていたことかと、後で長男は言っていた。
あのとと今でも彼に感謝しているき、よくぞHさんが止めてくれた子どもの経験と思慮の足らないところは、親が常識の線で遮断したり、補助することが必要でぁ就職は子どもにとって、一生の大きな問題だが、手とり足とりすべきではない。

しつけの効果が現われるはずもありません。
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教育学の本の中
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勉強をしなさい

父親が推せんする番組をもう一人の知りあい子どもという弱者を相手にしているということです。長男は結局D社に入ったが、それは本人の希望で、私がそこへ入れといった覚えはない。もし落ちたりしたらどうするのか、とまで口出しもしない。落ちたら落ちたで本人の考えがあるのだろうから、親が先手先手と手を打っ必要はない次男は、他の科に進まずに精神科の医者になった。強制したわけではなく、自然にそうなった。
末っ子はすでに社会人で自分の好きな道に進んだ。娘は絵の道に進んだが、これも完全に本人の意思である結局、父親は子どものよきアドバイザーにはなれるが、子どもの人生まで生きることはできない父親に力があれば、子どもがつまずいて転んだときに、せいぜい手を貸すぐらいでいい。

成績がよくても上

母親にごく抑圧的先回りして、子どもが転ばぬよう転ばぬよう手出しすることはかえって子どもの人生をスポイルしてしまうだろうさて、ここに後日譚を書かねばならぬ。
その後、長男はD社をやめ、病院の経営に参画したいと言い出したD社での仕事は順調にいっているようだし、上司にも部下にも愛されているようだし、意欲も充分、さらに世界一を誇るD社にいれば前途は明るいはずなのに、これは大変なことを言い出したと思った。よく話し合ってみる
と、どうやら一時の気まぐれではなさそうで、真剣な気持ちでいるようだ。
私立病院は税金で赤字を補てんされる公立病院とちがい、経営はかなり苦しい。良心的な医療を推進しようとすればするほど経営が苦しくなる。母さん幻想とくにオートメ化ができず、人間同士のふれあいの場として職員を多く抱えなければならぬ私立精神病院はことのほか苦しい。人件費、物価高などの重圧は甚だしい。わたしが名誉会長をしている日本精神病院協会の千四十の病院のおおよそ六0パーセントが、かつて医療費,11年間据置きのあおりを食って赤字に転落したこともある。
長男はそういう危機にのぞんで、はせ参じて来た。厳しい企業の第一線で苦労して仕込んだものをわが家のためにフルに生かしたいという希望である。これも完全に本人の意思で、わたしが頼んだりそそのかしたりしたおぼえは毛頭ないのだ。彼が学んだアメリカでは、病院の経営者は医者でない実業系の人がなり、医療は医師である病院長が担うという形態が多く見られるから、彼の発想は決しておかしくはない。ただ、こと医療に関しては病院長が全責任を負うべきで、経営者が口を出してはいけない。これは医療の常識である。
結局彼は
わが家の道へ戻ってきたことになるが、わたしは彼のコースが回り道だとは決して思っていない。それは、わたしが医学の道に進む前に、文科を経ていることに、わたしは決して回り道をしたとは思っていないのと同じである。

父親の手を借りなければ

嫁に対してどう対応するか
-嫁はけなすよりも誉めながらつき合え好きな人ができたら、いつでも家に連れていらっしゃいとは、わたしの母の言葉である。わたしの母はあまりろくなことを言わなかったが、この言葉はなかなかよかった。わたしが結婚したのは、戦時中でもあり、母の前に突然候補者を連れていったということには残念ながらならなかった。
でも現代では、息子があるとき、こういう人と結婚したいと突然言ってくるという話はいたるところで聞く。子どもが適齢期になれば、当然、出てくることだ。わたしの場合もまさにそのとおりだったが、あまり唐突だったのでわたしたち夫婦は一瞬アッケにとられてしまった。いきなり言われても、相手のことを何も知らないのだから、その場で、そうか、よかったねとまでは言わなかったが、二日後に結婚を許可した。
息子三人はすでに結婚して孫もいるが、その結婚相手に関しては、すぐ家風に合う、合わないと判断するのではなく、長い目で見てやることが必要だと思う。


母さんも楽しくなってきちやった!

たとえ最初は合わなくても、わたしは人間を信じているし、また変わっていくものだと思っているので、自然に溶け込んで斎藤家に適応してくれればそれでよいと思った。
いかなる嫁であろうと、親から見て100パーセント完全な嫁などいない。初めから嫁の欠点ばかりあげつらっても、うまくいきつこない。親のほうも全然異質な人がくるのだから不安だが、教育することによっていい線にいくだろうと、相手を信じないといけない。また、信じられているということを、嫁に感じさせることも大切だ。教育といっても一刻も早く
といった焦りや急ぎがあってはうまくいかない。ゆっくり時間をかけたほうがうまくゆく。
そのためにも、嫁をけなすよりも誉めなくてはいけない。だいたい嫁,姑というのは、お互い敵である。子どもを見ることができる


子どもという弱者を相手にしているということです。 子どもには時間の感覚がありません。 子どもはと思います。